森下正明からのメッセージ

   思い起せば,中学生の頃立読みに入った書店で偶然見つけて買ったファーブルの昆虫記に魅せられ,それ以後昆虫の生活研究にあこがれるようになったのと,旧制高校に入ってから苦手になった数学から何とか逃れる道を求めたのと,この2つの理由で京都帝大の農学部に入学したのが1932年であった。 その翌年念願かなって昆虫研究室の一隅に席を与えられ,アリに寄生するコマユバチ1種の生活史を調べはじめたのが私の研究生活の出発点であったから,それ以来今日まで約45年を経過したことになる。
この半世紀近い年月の間には戦争をはさんで社会情勢も変り,生態学も新らしい分野を発展させながら内容を豊富にするとともに,昔日にくらべると見ちがえるばかりの近代的な装いをつけるにいたった。この流れの中で育ってきたからには私のこれまでの仕事の中にはおそらくこの期間の生態学発展の過程を示すものがある程度まで織りこまれているにちがいないと読者はあるいは考えられるかもしれない。
  しかし私が手がけることのできたのは広大な生態学の世界の中ではほんのわずかのかけらにすぎないのである。これをよせ集めたところで,そこからかいま見ることのできるのは,この半世紀の生態学の動きの中でもごく限られた範囲の,それもきれざれの姿でしかないであろう。ただ一ついえることは,これら断片的な貧弱な仕事でも,私個人にとっては多くの先輩友人にたすけられながらどうにか薮を切り拓いてつけてきた思い出に満ちた跨跡である。これらの踏跡の中には今ではほとんど利用価値のないものも多く含まれているであろうが,しかし多少でもまだ役立つものが残されているならば,これを見つけ易い形にまとめておくのも全然無意義ではあるまいというのが川那辺浩哉・巌俊一両氏のすすめに従って本論集を刊行することにした私の気持ちである。 さて,もともと数学を苦手としたはずの私が後になって数学的取扱いを盛にするようになったいきさつを知りたいという若い人もかなりあるようであるから,これを含めて,私のこれまでの仕事同士の間のつながりを,ここに簡単に述べておくことにしよう。 これをよせ集めたところで、そこからかいま見ることのできるのは、この半世紀の生態学の動きの中でもごく限られた範囲の、それもきれざれの姿でしかないであろう。ただ一ついえることは、これら断片的な貧弱な仕事でも,私個人にとっては多くの先輩友人にたすけられながらどうにか薮を切り拓いてつけてきた思い出に満ちた跨跡である。 これらの踏跡の中には今ではほとんど利用価値のないものも多く含まれているであろうが、しかし多少でもまだ役立つものが残されているならば、これを見つけ易い形にまとめておくのも全然無意義ではあるまいというのが川那辺浩哉・巌俊一両氏のすすめに従って本論集を刊行することにした私の気持ちである。
 最初に書いたように私の仕事はじめはアリの寄生蜂の研究であったが(これは私の大学卒業論文にしたものであるが遂に印刷しないままになった),それと平行してやりはじめたのがアリの山地での垂直分布調査である。それまでの一般的傾向として動物の垂直分布といえば,最初から植物分布帯のわくに付随するものという先入観をもって取り扱われているのが私にはあきたらず,山麓から山頂までの連続調査によって各種の分布限界高度をたしかめる仕事を各地の山でやり出したのである。ちょうどその頃先輩の今西錦司さんが着手していた指標樹種による垂直分布帯決定の仕事は,私にとって最もよい指針となった。ところがこの調査を行なっているうち,調査結果に影響すると思われる様々の問題にぶつかるようになった。各種のすみ場所選択の問題,活動の日周期性や種問の競争の問題,さらにすべての問題にかかわる密度推定の問題などである。そしてこれらの問題に対する手がかりのいくらかでも得たいという考えから,京大植物園内での観察や野外実験を,山登りの合間を利用して行なうことにしたのである。本書に収録されているアリの論文のいくつかはこうした試みの一部である。 アリの観察を行なっているうち,アブラムシのついた樹の小枝に集まるアリの個体数には,枝の大きさやアブラムシ数に応じた一定の平衡状態が見られることに私は気付いたのである。これはすでによく知られていた容器内の実験個体群の飽和密度に相当するものである。しかし同じ飽和密度ではあっても,自然個体群の場合は各個体の自由な行動を通じてもたらされるものであるから,少なくともその機構には実験個体群とは本質的にちがったものがあってもよいはずである。この問題を追求するためには個体追跡を行なわねばならないが,そのための個体識別のマークを枝に昇降するアリの全個体につけることは,その数が多すぎて手に負えない。やむなく一応あきらめたが,翌1937年3月,春のおとづれをさぐるための植物園内の見まわりに際して,池上にヒメアメンボの先駆者を見出した時,この虫こそ今の問題を調べるのによい材料だと直感し,早速これを使っての仕事にとりかかったのである。この仕事は私の経済的事情のためごく短期間しか行なうことができず,心残りの多いままに終ったけれども,これが私のその後の仕事に与えた影響は少なくないものがあった。とくに資料処理の必要にせまられて考案した間隔法による分布解析は,その後苦手ながらも色々の数学的理論モデルを自分で考え出す一つのきっかけをつくったものであるし,またここで見出した一等地二等地によるすみ場所選択の問題は,後に動物による環境評価の問題へ仕事を進める基盤になった。1939年今西さんの内蒙古調査のお伴をしたのを手はじめに,以後終戦までは主として海外調査旅行の時期となった。そしてこれらの旅行を通じて私は人間社会の調査にも足を踏み入れることになったのである。よき先輩でもあり親友でもあった可児藤吉さんが「生態学は生物の社会学である。生物の社会学を理解するためには人間の社会学についても勉強する必要がある」といつも語っていたことからの刺戟のせいもあって,人間の社会学には関心をもっていたためであるが,それとともに自然と,これに支えられあるいはこれを支配しつつある人間社会との歴史的な結びつきを,広い意味での生態学の対象として取り上げてみたいというひそかな願望が,気持ちの底に働いていなかったとはいいきれない。しかし戦後私は健康をそこね当分は野外での調査研究をあきらめなければならないことになった。その上戦前からの研究調査資料はそのほとんどを大陸において終戦とともに失ったので,私としては新しい進み方を考えなければならないことになった。病床にあって私はむしろこれを機会に以前からの宿題でありながら,数学的取り扱いを敬遠していたばかりにそのままになっていた諸問題をもう一度考え直そうと決心し,数学書を枕もとに置きながら手はじめに前に手がけた間隔法をもう少し一般化することを試み,やや回復してからはクロバエやアリジゴクを使ってのすみ場所選択や分散の実験を行って,その結果をどうやらある程度理論化できるまでになった。動物にとっての一等地二等地も何とか量的に評価するいとぐちが見出されたのである。このように健康状態に強制されて踏み入った道であったが,一度ここに入るとその中で次々と出てくる問題のためになかなか足が洗えず,やがて間隔法からヒントを得た集中度指数Iδや,これを応用した分布の重なり度指数Cλの考案など,つい机上の作業に深入りするはめになった。それというのも多くの生態学の論文の中には,さんざん苦労して得た資料がありながら,その収集法や処理が不適当なためせっかくの資料が生かされていないものが少なくない上,場合によっては誤った結論が導かれている例にさえ時としてぶつかったからである。そして生態学のこれからの進歩のためには,今まで比較的なおざりにされてきたこれらの技術的側面の改良が今や急務になっていることを痛感させられたからである。そうかといって私が考え得たのはせいぜいのところ従来のものにくらべていくらか自然をよく反映できるといった程度のものにすぎなかったのは,私のカの限界を示すものでもあろうか。 このように振り返ってみると私のこれまでの仕事ぶりは,少なくとも結果的にはいかにも散漫である。自己弁護的にいうなら,これらを未発表の仕事とともに,一つの生態学体系の中に位置づけしつつまとめあげる意図をもっていたのにかかわらず,それが果せないままつい今日にいたったとしておきたいところである。ただし私がこれらの仕事を通じ一貫して自分に言い聞かせてきたことは,どんな生物であれその生活を考える際は,何時もその歴史とともに土地との結びつきを忘れないでいようということであった。この判りきったことでもその実行は必ずしも容易ではなかった。気をつけているつもりでも時としてこの点でうっかりしかけている自分を見出しその度に反省を余儀なくされたものである。
  すでに日は暮れかけているのに私の歩かなければならない道の先は,まだまだはるか彼方にかすんでいる。今から果してどこまで辿れるか判らないけれども,足もとの明るいうちはせめて1歩でも2歩でも前へ進むことをやめずにいたいと考えているのである。それは学生時代の私に科学精神の何たるかをしらずしらずの間に教えて下さったその頃の指導教授の湯浅八郎先生や,未熟の私を常に温く導き心の支えにもなって頂いた今西錦司博士をはじめ多くの先輩友人の方々の御厚意にこたえるための,私にできるただ一つの生き方だからである。この本を出版するに当たっては, 京都大学の川那辺浩哉・巌俊一両教授および思索社の垂水・藤本両氏の一方ならぬお世話をいただいた。心から感謝する次第である。 また私の英文論文を邦訳する労をとって頂いた京大昆虫学研究室の大学院生諸氏,ならびに共著論文をこの論集に収録することを快く承諾して下さった共著の皆さんにも厚く御礼を申し上げたい。

1978年12月


このメッセージは1978年に刊行された森下正明生態学論集(第一巻)に掲載されたまえがき部分です。

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