森下正明研究記念館によせられたメッセージ

思索へのいざない 〜森下先生の思い出〜

京都大学博士(理学)・京都大学名誉教授 

わたくしは, 鴨沂高校時代から京大在職時代までずっと, 森下先生にはたいへんお世話にあずかりました。高校では, 先生の生物の授業を受けたほか, 部活動としての生物研究会(生研)で先生のご指導を受けました。わたくしは, 大学以降は先生のご専門とは少し離れた植物生理学の分野へ進みましたが, 高校時代の授業や部活だけではなく, その後も含め, 先生に接する機会を通じて大きい影響を受けています。

【思索へのいざない】

高校での先生の授業は, 教科書をまんべんなく説明するというのではなく, ここは考え方としては大切というところを重点的にやるというスタイルでした。でも, そういう授業はけっこう面白かったのです。いまもよく覚えていますが, 進化論の話のときに系統樹の理解の仕方について,「現在いる簡単な生物から, 現在いる複雑な生物ができたわけではない。両者は, その共通の祖先から違った道を歩んできたのだということに注目しなさい」と言われました。いま見れば, それはごく当たり前のことですが, 初めてそういう話を聞いたわたくしは, 進化の本質を言い当てたようなその言葉に「すっきり感」を味わって昂揚しました。先生の口からは「深く考えなさい」という言葉はあまり聞いた記憶はありませんが, 先生は授業以外でも, 部活のミーティングのときなど, あらゆる機会に, いろいろな問題を問いかけられました。先生の教育方針は, それを口で言うよりも, 高校生であるわたくしたちに, いつも考える習慣を身につけさせるための実践にウェイトを置かれたものでした。

【推計学との出会い】

当時, 生研のメンバーは部室のほかに, 先生がおられる生物準備室とその隣の生物実験室にもお出入り自由で, いつでも先生とお話をすることができました。これはわたくしたちにとっては, とてもラッキーなことでしたが, 後で考えると, 先生にとっては少しご迷惑なときもあったのではないかと思います。それはさておき, このような部屋に, たまたま何人かが集まると, いつのまにかミニ・セミナーのようになることもありました。ある日, 突然, 先生が「膨大なデータを集めて統計をとらなくても, 小数例を扱う推計学がある」という話を切り出されました。わたくしは, 先生のお話の内容を正確に把握することができませんでした。わたくしの理解といえば, 数学の時間で習ったばかりの確率という考え方が使われているということが, ぼんやりとわかったという程度のものでした。それから4年, 兵庫県の大学に就職していたわたくしは, 実験データを処理する段になって, ハッと気づきました。「あれだ!あれが要る!」というわけで, 急遽, 勉強し, 今度はわかりました。増山元三郎氏によるなつかしいテキストは, いまも本箱のどこかにあるはずです。

【空き缶のお湯】

先生は一時, 健康を害されてご自宅で療養をなさっていたことがあり, お見舞いに伺ったときのことです。先生のお部屋は, 砂を入れた箱(たぶんアリジゴクが入っていたと思います)がごろごろ散らばっていたりして, なにか実験室のような雰囲気でした。ただ, わたくしが訪れたときは, アリジゴクのほうではなく, 空き缶に入ったお湯に温度計を入れて, 時計とにらめっこしながら, お湯の温度を分きざみぐらいで克明に記録しておられるところでした。なんでこんなことをしておられるのかなあと思いながら, おじゃまをしないように見ていました。その先生の様子はとても楽しそうでした。ずっと後になって気づいたのですが, 先生は分子が拡散するときにみられる, 時間軸に対して指数関数的に減少する量の方程式のことを思い浮かべながら, 分子を個体に置き換えて, 集団の中の個体の移動や, それによって起こる個体密度の変化を考えておられたのではないかと想像します。わたくしは, その後の先生のお仕事について勉強していなくて申し訳ないのですが, もし先生の論文のなかに, それらしきものがあれば, その構想はきっとあのときの「空き缶のお湯」ではないかと思います。

【ゲラを読むぜいたく】

高校卒業直前の頃だったかと思いますが, 先生が「これを読んでみなさい」と言って,「ざら半紙」(いまの時代はこういう紙に出会うことはありませんが)を綴じたものを1冊渡されました。開けてみると, それは今西錦司先生の「生物社会の論理」(毎日新聞社, 1949年)のゲラ刷りでした。早速, 一気に読ませていただきました。当時, このゲラがどういう経緯で先生のお手元にあったのかはわかりませんが, あの名著の出る前に, ただで読ませていただいたのは最高のぜいたくだったということを後で知りました。

【温かい激励】

それからずっと年月が経ち, わたくしが京大理学部で助手(現在の助教)をしていましたときに, 先生が京大へ教授として戻ってこられることになりました。先生が京大へ赴任されてすぐに, 先生の研究室へご挨拶に伺いました。わたくしは大学卒業後, 他の大学に勤めており, いろいろな事情で博士の学位取得が遅れていました。話題がそのことに及ぶと, 先生は「なにをさておいても学位を取得するべきだ。いまはその仕事に集中するべきだ」と叱咤激励してくださいました。同じことを思っている方は周りにもおられたと思いますが, あそこまでストレートに言ってくださったことに, いまも深く感謝しております。

ふりかえってみますと, 先生にお出会いしてからは, ハッと気づくことの連続でした。それがこの度, 先生にまつわるエピソードを書かせていただいた所以です。森下先生, ありがとうございました!

2011年8月

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